2006年8月30日
ニキフォル
先日、"Mój Nikifor"(邦題「ニキフォル」)というポーランド映画(クシシュトフ・クラウゼ監督/2004年)の試写会に足を運んできました。ニキフォルという、言語障害を持ち、そうと知らなければただの物乞いにしか見えないような身なりの、独学で身に着けた絵を描き続けた一人の男と、その生活を支えた後見人の物語です。現代美術の分野で世界的に知られる人物というのですが、私はこの映画で彼の存在を初めて知りました。絵の良し悪しは私にはよくわからないのですが、その色彩の斬新さと懐かしさの同居したような感覚に目が惹きつけられました。
映画を見ながら、(これは哀しいかな、一種の職業病ですね…)ついつい映画の俳優たちがしゃべるポーランド語と字幕の日本語を批判的に見比べてしまうのですが、この映画、翻訳された方は本当に苦労されただろうな、としみじみ思いました。何しろこのニキフォルは言語障害を持つ男という設定なので、発音が全く明瞭でありません。しかも正しい文法ではしゃべっていないので、主語が誰であるのかわからなくなる瞬間も何度もありました。私なら、台本がなければとても「きちんと」訳出することはできないだろうと思います。
実際、この字幕制作をされた方はその困難さにもかかわらずかなりうまく訳出をしていたと思うのですが、逆に気になってしまったのは、あまりにもニキフォルが「きちんと」した台詞回しをしているような字幕になっていたことです。彼の言葉使いのたどたどしさと、その中に骨太な真意が垣間見えるような様子を、もう少し反映できていれば良かったのに、と感じました。大多数の日本人鑑賞者にとっては、字幕だけが意味を汲み取る唯一の手段になるわけですから、映画における字幕の存在意義と責任は絶大です。
その意味でも、上記のこと以上に大変だっただろうな、と思うのは、ポーランドはやはりカトリックに根ざした国であるという点といえます。ポーランド人にとって、クリスマスや復活祭がどんな意味を持つのか。教会や聖人とはいかなる存在であるのか。そういったことを習慣として知らない日本人にとっては非常に理解の難しい台詞がいくつもありましたし、またその訳出も、特に字幕という文字数の極端に制約された中では殆ど不可能とも思えます。日本語の字幕を通す限りでは、このニキフォルという男の宗教観を汲み取ることは難しいでしょう。
ともあれ、映画としてはとても良い内容を持つものだと思います。1960年代のポーランドをよく描き出しているという意味でも興味深いです。今年11月、東京都写真美術館にてロードショーですので、ぜひ皆さんも足を運んでみてください。
(by管理猫)